脳に 噛みたてのガムを詰め込んでいる気分によくなる。

 

何を考えるにも気持ち悪くて 時折、自分の言葉を読んで吐き気を催す。あの140字の世界は 私の全てではない。だがあれは間違いなく私でもある。

 

女がいた。女は私に言った。

「普通になれ」

私は物心ついたときから、その言葉に随分苦しめられる羽目になった。

 

私の中での普通は、世間一般でいう 当たり前のことを指す。

 

他人とは違う考えを持つな、他人と違う場面で笑ったりするな、という類のものではない。

 

話しかけられたら返事をする、何かしてもらったらお礼を言う、笑顔を浮かべる、挨拶をする。これらが私にとっての 普通だ。

 

私は場面緘黙症だった。一定の環境で話せなくなる病気。

 

私は家族以外と話せなかった。全く話せなかった。それが中学卒業まで続いた。

 

それによって、大分色々なものに傷ついた私の 唯一の安息の場は家だった。家が全てだった。

 

だが 家は家で 両親の喧嘩が絶えないような家だった。

 

父も母も 少しばかり幼い面があったのだと思う。

 

特に父。

突然周りの全てに腹を立て始め、声を荒げることもあれば、その数秒後には ただのやさしい父親になることもあった。

その怒りのきっかけとなる出来事は、部屋が暑いとか 嫌いなおかずが夕食に出されたとか、単に疲れたとか、そんなものだった。

 

幸運なことに暴力は振るわれたことがない。

だが私は 大声で怒鳴りだすその瞬間が 大嫌いだ。

 

それから母。

母のことは好きだ。歳をとるほど、穏やかな面をのぞかせるようになった母。

だが、大好きなのに 同時に大嫌いでもある。

幼い頃、私が学校で話せない、という理由で物を投げつけてきたり、家の外に私を追い出したことがある。

父や 周りの人の悪口を 私に語って毎日を過ごしていた。私はその時間が苦痛だった。

 

仕方のなかったことだとは思う。

 

だけれど 未だにそのときのことを思い出すと 涙が止まらなくなる。

 

なんの涙かはわからない。

 

悔しいのか、かなしいのか、やるせないのか。その全てなのか。

 

2人とも、悲しい人たちなのだ。私はそれを知っている。2人とも、自身の親とうまくいっていなくて、元ヤンで、自分の呪いを解くことができないまま 親になってしまった。

 

誰も悪くない。責められない。

もう別に 誰も恨んだりしていない。

 

私は 自分の呪いを自分で解けるような人になってやる。という意志だけは曲げずに 今日も一日を過ごした。

 

みんな何かに傷ついている。

 

私は大人になれるのだろうか。なりたくないな。

 

大人になるまで生きていない方の確率を考えながら、ガムで銃弾を包み込んだ。

 

右手を90度曲げて 30cmあげた内側の的を撃つ勇気は まだない。